LIFE Camping 2017 Talk Live レポート

ひとり当たり13㎡。

何の数字かお分かりであろうか。

実はこれは多摩市民ひとり当たりの都市公園等面積。都内でもトップクラスを有する。20代社会人の一人暮らしは「キッチン+7~8畳」が平均像だそうだが、これに加えて8畳強の庭があると想像すると、その豊かさにリアリティがわくのでは?

この、多摩市がもつ豊富な資源である「公園」を活用し地域のつながりを醸成しようと発足したプロジェクト『ライフキャンピング』が、設立一周年を記念し「多摩中央公園ではじめる多摩の夏の過ごし方」と題した体験型イベントを企画した。木工クラフト・竹灯篭づくり・ロープワークなどのアクティビティのほかにも、森林管理の専門家のサポートによる、木登り・枝打ちなどの本格派体験も。

「楽しもう、分け合おう、自分でやろう」をかけごえに活動する彼らの呼びかけに多摩エリアの活動家40人が一堂に介し、「多摩市での暮らし方」の可能性を話し合っていこうという、いわばキックオフミーティングとして行われたトークライブ の様子を本稿ではレポートする。


「さまざまな体験ワークショップをきっかけに、公園を身近に感じてもらえたのでは」とLIFE Camping共同代表 加藤 岳洋さん。

 

■「自分たちでできることからはじめよう」の精神 ~ゲストトーク

まずはLIFE Camping共同代表 加藤 岳洋さんから挨拶があったのち、『多摩グリーンボランティア森木会』川添会長からは、団体の成り立ちや現在の活動について聞かせていただいた。

・江戸時代の頃は人々の集落と元の自然が調和していた里山だったこのエリアに、人工都市が造成され大量の人が流入してきた。同時に整備された都市公園の維持管理費も平成13年当初は8億円を超えていたが、年々予算削減され、今では約半分まで落ち込む。

・このような背景のなか、雑木林へのゴミの不法投棄が問題化。雑木林が整備されず藪化してしまうと人の目が届きにくく、不法投棄や犯罪を誘因する原因となってしまうのだ。こういった状況に心を痛めた有志が、まずは自分たちでできることからはじめようと活動を始めたのが、平成13年。

・緑の量よりも質が大事である、そのために管理が必要であるという考えを分かち合える仲間を増やすために、年間10回のボランティア講座を開催し、今では講座受講者累計439名。

・市内205か所あるすべての公園の管理を担っているわけではないが、今ではなくてはならない市民活動団体のひとつになっている。


造成前から現在にかけての多摩センターエリアの貴重な空撮写真をみながら、緑と茶色が変わっていく過程を追体験した。

 

■ぼくらが「公園でやりたいこと」

多摩エリアの公園管理がどのような背景と現状になっているのか目線がそろったところで、続いてはテーブルごとに分かれてのグループセッション 。各々自己紹介しつつ「公園でやりたいこと」を挙げていく。

すでにこんなことやっていますよという声、今日の体験ワークショップをきっかけにさらにこんなこともやってみたい/できるのでは?といった声もあがる。

・サバイバルキャンプ

・こどもと楽しめる野外音楽ライブ

・ふらっと煮炊きがしたい

・ツリーハウスをつくりたい

・自己管理で楽しめるプレイパーク

・公園でのモノの売り買い

・トレイルランニング

・ビアガーデン

■公園は誰のもの?

グループセッションの全体共有の時間では、A市では既に行われていることが、B市では許可されていないというのはなぜなのか?という疑問が会場から持ち上がった。

非競合性(誰かが使っても減ることはない)と非排除性(誰しもが平等に使うことができる)、これら2つを併せ持つものを公共財というわけだが、公園はまさに公共財だ。それ故に、上記のような誰かの「やりたい!」ことを実現しようとしたときに、他の誰かにとっての公共性を損なう可能性があることは、管理責任をもつ行政自治体がすんなりと首を縦に振りにくいところなのだ。川添さんは付け加える。

「仮に他の誰かに迷惑がかからないようにとルールを強いて公園の利活用が許容されたとしても、一部の人がマナー違反があると、さらに強い規制をかけたり利活用自体を禁止せざるを得ないということが起こっているのも事実」

市民ひとりひとりの「やりたい」という自発性と同時に、モラル・マナーの底上げを育まなければならないのでは?という問題意識がこの場で共有された。

 

■「郊外」としての多摩での暮らし方を考える

続いてのテーマは「郊外としての多摩での暮らし方を考える」。呼び水として3つの投げかけが提示され、グループセッションでそれぞれの意見を出し合っていく。

・郊外は日本のマジョリティ?

・郊外は「問題」か?

・郊外は変わらなければならない?

そもそも郊外が「都市と農村のあいだ」ぐらいのあいまいな概念。郊外を英語で「suburb」(urb = 都市 + sub = 下に、という語源から)、つまり「都市に付属している場所」という意味であり、都市があってのアンチとしての存在なのだ。しかし実態としては、面積的にも人口ボリュームとしても、郊外の方が圧倒的に大きくなっていった。都市はメジャーではあるがマイノリティで、郊外こそが日本のマジョリティなのではないか?という考え方もある。そういった背景で、高齢化問題、空き家率の増加問題、人口減による公共施設の維持管理費問題…など、いわゆる「縮小社会ニッポン」の問題を「郊外」の問題と置き換えられて語られることが多いのではないか。

仮に「問題」があるとして、では郊外は変わらなければならないのだろうか?望んでこのエリアに住み続けている/引っ越してくる人々もいるのも事実だし、都市部への移動が比較的容易など、郊外ならではの利点もたくさんある。グループセッションでの声でも「問題だなんて思ったこともない」という声も挙がっていた。

さて、みなさんはどう考えるだろう?

会場からシェアされたこんな印象的なエピソードがある。

「例えば公園に1つのゴミが落ちていたとしたら。①「ここ捨てていいんだ」と2つ目を落とす人。②「ここには捨てない」とちゃんとゴミ箱に捨てる人。③その1つのゴミを拾う人に分かれる」

②のモラルをもった市民が多いことは素晴らしい。③へ一歩踏み込む、今ここが分かれ目なのではないか。

 

■つづくアクション、ひろがる縁 ~クロージングトーク

ライフキャンピングが掲げる「楽しもう、分け合おう、自分でやろう」というメッセージのもつ深みを体感できた今日のイベント。一人でいちからすべてやるのではなく、想いを同じくする仲間と助け合えるように、あるいは今日つながった縁や生まれた問題意識の灯を絶やさぬように、「間をおかずにまた介する場を」とライフキャンピングの共同代表小室さんから呼びかけがあり、トークライブは締めくくられた。

みなさま、近いうちにまたお目にかかれますよう!